真夜中のドロップアウトカウボーイズ@新館

ピンク映画は見るか観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為

縄で犯す/ex.DMM戦

 「縄で犯す」(昭和55/製作:新東宝株式会社/配給:新東宝興業株式会社/監督:渡辺護/脚本:小水一男/撮影:佐倉和樹/照明:近藤兼太郎/編集:田中修/助監督:三輪誠之/監督助手:山田丈/撮影助手:巽五郎/照明助手:佐藤一夫/効果:秋山効果/現像:ハイラボセンター/録音:銀座サウンド/出演:日野繭子・野上正義・国分二郎・杉佳代子・飯島洋一・丘なほみ・堺勝朗)。出演者中丘なほみが、ポスターには丘なおみ。何気になほみ名義は初見、なほみ作ほかにもあるのかな。配給の新東宝興行は、ポスターに従つた。
 女の腹の上に縄をかけるアバンを秒で通過、チャッチャとタイトル・イン。温泉旅館「栄荘」の主人・吉三郎(堺)が女中の照子(丘)を激しく甚振る様子を、番頭の松男(野上)が窺ふ背後に、使用人の正造(国分)も現れる。
 散発的かつ断片的な、来し方パートを掻い摘みがてら配役残り。日野繭子は、恐らく貧農の両親・留次郎(飯島)とよし(杉)が娘を遺し縊死したのち吉三郎に貰はれた、往時の用語でいふと知恵遅れの少女・里子。照子にガミガミやられながら、里子も一応栄荘で働いてゐる。その他、一銭で里子のハモニカを吹き、激おこの留次郎からタコ殴りにされる―背景に電柱と電線が見切れる―男と、リバイバル後の栄荘に、客と従業員合はせ計八名が投入される。その中パッと見、ガイラは見当たらない。
 女房を吉三郎に売つた留次郎が握り締める対価が、新しい方の一圓銀貨(製造期間明治7~30年/明治31年国内流通禁止)。即ち明治時代の山村を舞台とした、渡辺護昭和55年第十二作。たゞしその硬貨、元々対外貿易専用に発行され、国内では殆ど流通してゐなかつた模様。考証上の些末はさて措き、渡辺護が当年全十五作。内訳もミリオンと買取系が四本づつ、新東宝は六本。それではあと一本はといふと、東映ナウポルノに一枚噛んでゐたりする縦横無尽リーチ。
 割とガバガバな因縁に支配された苛烈な猟色が、ある意味ポップにサドマゾの形で狂ひ咲く。といふか、要は吉三郎が一人でマッチポンプな業に囚はれてゐただけとも解し得るゆゑ、性質の悪い因業爺さんに周囲が振り回される、どころで済まない一種のサイコホラーともいへようか。堺勝朗が捕まらなかつたら、今泉洋連れて来い。さうなるとありがちな、一山幾らの構図にも思へ、案外事が大人しくは運ばない。大体劇中現在、結局吉三郎が勃つのか勃たないのか。裸映画的にはなほさら展開の要を成す疑問は、後一歩のところで最終的には等閑視。度を越した荒淫の果て―タフな照子の以前に―女将を死なせたらしき、元々箍の外れてゐた吉三郎と、邪気もなく色を好む松男は兎も角。正造までもが藪から棒に運命的な勢ひで、里子に入れ揚げるところの所以は、理解にも感情移入にも些かならず難い。我ながら紋切型的な他愛なさに辟易しなくもないが、もう少し、里子にたとへば聖性的なサムシングを纏はせ描く、いはば外堀を埋める手数を積み重ねられなかつたものかと首を傾げつつ、所詮は前時代的かぞんざいなマチズモの権化に過ぎぬ渡辺護に、さういふ繊細は繊細な趣向を、土台求める相談ではなかつたやうにも思へる。懐妊にキレた吉三郎が何もかも放棄した上、里子を本格的に責め始めてのクライマックス。照明の浅い赤味が判り易く顕示的な画の軽さが、行間のダダッ広い展開を暗く重たい雰囲気で誤魔化す、もとい押し切る戦法の採用を妨げてゐるのが最たるアキレス腱。ほかにも三番手の濡れ場をヒロインの秘された出自に捻じ込む、強引な力技は桃色の力学ないし、論理性の範疇で賞せなくもないにせよ。滝を文字通り真紅に染める、流産の大通り越した超出血はフィクションの嘘が盛大に火を噴くか底を抜く、失血死必至の最早限りなく笑ひ処。
 延髄への編針一撃で国分二郎を葬り去る、里子が出し抜けに繰り出す仕事人ばりの殺人技術にも驚かされたが、藪蛇に破滅を急ぐ堺勝朗の闇雲な重厚感と、如何にも国分二郎らしいどうかした熱量。飄々と女の尻を追ふ野上正義の軽やかさに、飯島洋一キッチュな寄り目。実は女優部以上に充実してゐる豊潤な男優部が、改めて気づくと見るも無惨に全滅する容赦不要の死屍累々ぶりには、グルッと一周したより深い感嘆をも覚えた。徒に死体の山を築く不毛なドラマツルギに、却つて心惹かれる惹かれてしまふ、倒錯した清々しさは矢張り否めまい。そして木に竹を接ぐ、栄荘再興エンド。女主人の座に納まつた里子こと日野繭子が頭に載せてゐる、まるで橘雪子みたいな髪型の鬘が、終始陰惨な始終の果て辿り着いたエピローグに、一滴の潤ひを差すチャームプロップ。量産型娯楽映画を現に量産する、その麗しさを言祝ぐに吝かでないものの、それだけ撮り倒してゐればかうもなるよね、といふ結構大雑把な一作ではある。

 ひとつ気になるのが、VHSのパケにも採用されてゐる昭和55年版のポスター。丘なほみを責めてゐるのが実際の堺勝朗でなく、下元志朗―か大杉漣―に映るのは気の所為かしら。あと一点、前述したハモニカ氏の場面に加へ、里子が初めて悪阻に見舞はれる洗面所。窓越しに、見るから現代ぽい遠景が望める。